あやかし秘抄 第五話(2)


「あんたは、恐くないのか」
 青み始めた朝の空を見上げながら、龍二は言う。
「なにが」
「これだけ大勢の人間を、矢上家の再興という自分の運命に巻き込んだことだよ。責任を感じないのか」
「別に」
 統馬は他人ごとのように、そっけなく答えた。「あいつらが、自分で決めたことだ」
「そういう身も蓋もない言い方はないだろう」
 龍二は、ムッとして言いつのる。
「草薙はまあ、それが矢上家の神刀としての使命だ。だけど、孝子さんは結婚もせずに、影のように60年間あんたに仕えてきたんだ。久下さんなどは、何度も転生して、その人生すべてをあんたのために差し出した。それに――」
「俺の知ったことではない」
 その冷ややかな答えを聞いたとたん、龍二は腰を浮かし、統馬の腕をひねりあげた。
「よくも、そんなことが!」
 龍二の心に懸かっているのは結局、ただ詩乃のことだけだ。
 こんな人里離れた田舎で、人並みの幸せもあきらめて。
 彼が愛した女性は、夜叉追いの当主の妻として、忍苦の日々を重ねなければならない。
「なぜゆうべ孝子さんが、『いとしい夜叉』の話をすると言いながら、あんたとの思い出を話したと思う? あんたが、ここにいる全員の心を縛り、人生を支配してきたんだ。――あんたは、人の命を食い尽くす、夜叉そのものだ!」
 統馬は、静謐なほど黒々とした瞳で、龍二をじっと見つめ返す。
 その目におびえたように視線を落とした龍二は、はっと顔をゆがめた。
 統馬の掌に、梵字の形をした紋様が浮き出ている。
「これは――夜叉の種字?」
 背筋にぞっと冷たいものが駆け上がり、思わず、つかんでいた手を引っ込めた。
 昔、これと同じものを見たことがある。あれは、統馬が半遮羅(はんしゃら)という名の白髪の夜叉だったとき。
「あんた、人間に戻ったと思っていたのに……まだ夜叉のままだったのか」
 統馬がすっと立ち上がり、龍二は思わず目を閉じた。あまりの恐怖に、体が金縛りにあったようだ。


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