あやかし秘抄 第六話(5)


 神林は涙をふりはらうために、何度も咳払いした。
「気づいたら、俺はただの汚い勉強部屋に戻ってきていた。俺の前におびえたような顔つきの生徒が立っていた。俺はおうおう泣き出して、そいつに抱きついたんだ。――『ごめんな。恐かったな。気づいてやれなくて、ごめんな』って」

 夕食を待つひととき、縁側に寝そべって庭を眺めていた神林は、背後に人がいるのを感じた。
「矢上」
 統馬は、陶器の酒瓶と猪口をふたつ手に携えている。
「それで、その男子生徒はどうなった?」
「ああ、今も引きこもってるよ」
 隣に胡坐をかいた統馬に、神林は疲れたような声で答えた。「ときたま気が向いたら、俺を部屋の中に入れてくれて、話すようにはなったけど。なかなか、そう簡単にはいかない」
「そうか」
「もしかすると、もう高校には来れないかもしれないな。それでも毎日毎日、幻想の教室であいつは苦しんでる」
 神林は長いあいだ唇を噛みしめてから顔を上げて、かすかに笑った。
「まあ、気長にやるさ。俺の生徒だからな」
 統馬は黙って、猪口を神林に差し出した。
 ふたりは秋宵のもの寂しい景色を見つめながら、酒を酌み交わした。


(六話終 ―― 七話へ続く)
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