あやかし秘抄 第七話(9)


「それで」
 龍二は、むくりと体を起こした。「結局は、キスだけだったのかい」
「そうですよ」
「そのあとは? 十五禁と十八禁のボーダーラインとなる決定的事実は!」
「何言ってるんです。そんなこと、するわけありません」
「ばかーっ」
 龍二はいきなり、久下の頭をぽかぽか殴り始めた。
「思わせぶりな導入で、人をうんとこさ期待させやがって。何が『忘我の境地』だ。いまどき、こんなオチじゃ小学生だって納得しねえ!」
「じ、冗談じゃない。明治・大正のあの頃には、男女が寄り添うだけで命がけだったんですから。ましてや、夜叉と交わった人間は無事ではすみません」
 久下は龍二の手を振り払うと、何度も咳払いしたあと、おごそかに宣言した。
「とにかく、事実はすべて包み隠さず話しましたから。余計な勘ぐりは、もう金輪際やめてくださいね」
「なんだ。キスだけかあ」
「これで終わるのは、少し悔しいわね」
 などと、不完全燃焼の仲間たちは、まだぶつぶつ文句を言っている。
「要するに、キスの重みが全然違うということね」
 詩乃のひとことに、囲炉裏ばたの空気がふたたび凍りついた。
 急須や湯呑みを片づけていた若妻は、顔を上げて、にっこりとほほ笑んだ。
「平成の今なら、統馬くんだって、教室のクラスメートの前で平気でキスできちゃうけど。やっぱり、あの時代の董子さんへのキスは、重みが違ったと言いたいのよ。ね、久下さん」
「ま、待ってください。僕はそんなこと、ひとことも――」
 詩乃がすっと音もなく座を立ち、部屋を出て行ったあと、残された一同は、矢上の総領をひどく憐れむような眼で見た。
「なるほど。天罰は、これから下るんだったか」


(七話終 ―― 八話「きゃらめる」へ続く) 

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