インビジブル・ラブ(32)

「いったいどうしたの、愛海。フェロモン全開じゃん」
 食堂で、同期の石崎由香利が口をぽかんと開けて近づいてきた。愛海はオムライスをフォークでぐさぐさ突きながら、うるんだ瞳であらぬ方角を見つめている。
「通りかかった男が鼻血出してぶっ倒れそうなほどの可愛さだよ。何があった?」
「由香利。私、恋をしたみたい」
「なぬっ。相手は誰? 捜査三係の小林巡査部長か?」
「ちがうわよ」
「イケメン?」
「でもないんだけど」
「なあんだ。じゃ、興味ないや」
「ただね」
 愛海は、ほうっと大きな吐息をついた。
「めちゃくちゃカッコいいのよ。男の本当の値打ちは、やっぱタマシイなのかしらね」

*  *  *

「つぐない――か」
「何か言ったか」
 太公望が釣り糸を垂れている横で、俺はぼんやりと水面を眺めていた。
「つぐないってものを、してみるのも悪くないかなと思った」
「ほう。そりゃあ、エライ進歩だの」
 おっさんは、からかうような笑みを浮かべる。
「おまえさん、やっと自分のやることを見つけたようだの。言わば、生きがいってところか」
「死んでるのに、『生きがい』はないだろう」
「いやいや」
 首をゆっくりと振った。
「わしに言わせれば、生きておった頃のおまえさんのほうが、死んでおったよ」
「なんだ、それは」
 俺は妙におかしくなって、大声で笑った。
「死んじまった俺のほうが、多少はマシってことか」
 太公望は、ヒゲを引っ張りながら、もったいぶって言った。
「人生なんてものはな。やり直すのに、遅すぎるということはないのじゃて」


 第一章 終

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