手をのばして(番外編2)

 俺の死んだ祖父、校倉栄一は、若いときに不思議な体験をした。太平洋戦争のさなか、上海に留学していた頃のことだ。
 鏡の中に、未来に住むひとりの少女を見つけたという。
 彼女は2年間にわたって幾度も鏡の中に現われ、祖父と語り合った。彼女は確かに生きていた。鏡面を透かして、手のひらをわずかに触れ合うことすらできた。
 祖父は暗い時代を生きるための、ただひとつの灯火のように、彼女が鏡の中に現われるのを日々待ち焦がれていたという。
 普通ならば、祖父が孫にたわむれに話す、他愛のない作り話だ。だが、まだ幼かった俺は、いともたやすく信じ込んでしまった。鏡の少女に会いたくて会いたくて、ときどき祖父の書斎に無断でしのび入っては、あの古い鏡を長い間のぞきこんでいたこともある。
 さすがに成長するにつれ、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。
 だが、祖父は死の床に着いたとき、驚くようなことを俺に頼んだのだ。
「わたしはあと2週間で死ぬ。そのときは、京都の古門前町の「観花堂」に行って、この手紙を鏡の少女に届けてほしい」
 そして、その言葉どおり、祖父はぴったり2週間後に亡くなった。
 遺言を守って、その骨董屋を訪れた俺の目に飛び込んできたのは、祖父の名を呼びながら泣き崩れている女の子の姿だった。
 春日野たえ。高校二年生。そいつが、今目の前にいる女子高生だ。
 彼女は一ヶ月の間、鏡の中の若き校倉栄一に毎日会い、彼を心から愛したと言った。その話を聞いたとき、俺は混乱した。
 俺はただ、だまされているだけじゃないのか。祖父と文通か何かで知り合った彼女が、俺をからかおうと思って、おとぎ話の中の少女を演じているだけじゃないのかって。
 しかし、もしそうなら、なぜ祖父は何のゆかりもないこの観花堂に、大切にしていた鏡を預けたのだろう。冗談にしては、説明のできない不思議が多すぎる。
 疑いながらも俺は次第に、たえの話が真実であることを信じ始めた。いや、願っていたのかもしれない。祖父のために流した彼女の涙が、決してウソであってほしくないと。

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