手をのばして(番外編6)

「ひゃあっ」
 苦痛の叫び声。
 そうだ、あのとき俺は痛さのあまり失神してしまった。それきり後の記憶がないのだ。
 考える間もなく、その手をつかむと、ぐいと向こう側に押し戻した。
 全身を突き抜ける衝撃。耳をつんざくような轟音が響いた。
 俺たちが手を触れ合った場所から、ぴり……とひび割れが始まると、みるみるうちに、鏡全体を埋め尽くした。
 ショックのあまり放心していた俺がふたたび目を上げたとき、鏡は粉々に割れ、床に無数の破片を撒き散らしていた。
 俺は過去の自分自身と出会ってしまった。あってはならない時間の禁忌(タブー)を犯したがために、鏡はその衝撃に耐えられなかったのだろう。
 ようやく身体の痺れから立ち直って、たえのもとに這い寄ると、ぼんやりと座り込んでいる彼女の手を取った。
「栄一さん……」
 鏡が割れ、もう二度と愛する男に会えなくなったことを認めたくないのだ。彼女は心を亡くしたように、祖父に瓜二つの俺の顔を見つめるばかりだった。
「たえ」
 涙があふれるのを、感じた。
 自分がこの人をどれほど大切に思っているか、今ならわかる。俺は、祖父の遺した彼女への愛情を、そっくりそのまま受け継いでしまった。
 鏡が十数年前を映し出したのは、偶然ではなかった。もし鏡に心があるとするなら、最後の魔力をふりしぼって、俺に子どもの頃の俺を見せてくれたのだ。鏡の中の少女に会いたいと、いつもワクワクするような気持ちであこがれていた自分自身を。
 あの頃から俺は、たえに出会う日を待っていた。
 鏡の思い出を話してくれたのは、祖父はこうなることを心の中で願っていたからだろう。いや、ひそかに確信していたにちがいない。遺書を俺に託したときには。
 俺は見事にその計略にハマったわけだ。少しシャクだが、しかたない。もう自分の気持ちを変えることはできない。変えるつもりもない。
 俺は祖父の祝福するような笑顔を頭の片隅に見ながら、運命の神の筋書きどおりに、泣いている彼女を抱きしめて、額にそっと口づけた。


(終)

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