あなたの歌が聞こえる(5)


「美玖さん、わかった。この話はやめにしよう」
 胸に抱きついてくる彼女を医師はそっと押し戻す。替わりに手を取って、安心させるようにぽんぽんと叩いた。
「もうこのへんで終わりにしよう。さあ、今日は風もない、いい天気だから散歩でもしていらっしゃい」
「はい……」
 怜は彼女の横顔を見て、愕然とした。
 美玖が医師を見上げる瞳には、相手を信頼しきった、まるで恋人に向けるような光が宿っていたからである。
「日下部さん。もうわかったでしょう」
 彼女が出て行ったあと、霧島は怜に向き直った。
「美玖さんにあなたのことを話すと、今のようにパニックを起こし、幼児のようになってしまいます。意識の下にあなたの記憶を拒否する思いがある。もし強要すれば、心が壊れてしまう恐れがあるので、治療には時間をかけたいのです」
「美玖は……」
 怜は半分、医師のことばを聞いていなかった。
「霧島先生、あなたのことを好きなのではありませんか?」
 30代後半の医師は、唇の端を少しゆがめて笑った。
「精神科の患者は特に大きな不安感を抱いているとき、担当医に恋愛感情を抱いていると一時的に錯覚することがあります。治療が進めば忘れ去る気持ちです」
「でも……」
「心配ですか?」
 自分にはもう決して向けてもらえない美玖の優しいまなざし。甘えた声。
 霧島に激しく嫉妬している自分を感じ、怜は惨めさに身体を震わせた。

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