あなたの歌が聞こえる(8)


「どういう意味です?」
「あんたは独身だと聞いている。もしかすると、あんたのほうこそ美玖のことを……」
「私は医師だ。医師として患者を気にかける以上の感情を、彼女に持ったことは一度もありません」
「とても、そうは見えなかった!」
「日下部さん、あなたは冷静な判断ができていない。あらぬ妄想に取り憑かれている」
 怜は奥歯をぎりっと噛みしめると、彼を突き飛ばすようにして、屋内に入っていった美玖を追いかけた。
「美玖!」
 叫ぶなり、廊下を歩いていた彼女を振り向かせ、腕をつかんで乱暴に揺すぶった。
「美玖! 俺を見ろ! 見るんだ」
 彼女は自分に何が起きているのかわからず、恐怖に目を見開く。
 その表情に、彼はますます逆上した。
 あの医者に微笑んでも、俺には微笑まない気か。
「俺の声、ほんとは聞こえているんだろう? 美玖。もうこんなことやめてくれ! ちゃんと俺に答えてくれ!」
「痛い! 何なの、この、からみついてくる……。息ができないっ。……助けて! 誰か!」
「復讐なのか。俺に仕返ししているつもりなのか? なら、もう十分だろう!」
 もがく美玖を、ありったけの力で怜は押さえつけようとする。
 霧島が追いかけてきて、怜の首筋をつかみ、彼女から引き離した。
「この、馬鹿っ!」
 霧島の怒声が、雷鳴のように廊下に響き渡る。
 壁に叩きつけられた怜を、彼は眼鏡越しににらみつけた。
「もう二度と、ここに来るな」
 つめたく押し殺した声。
「貴様は、この人の心に巣食う害虫だ。……次にここに現われたら、ただではすまさん」
 片隅でうずくまりながら、怜はそのことばが痛みをともなって自分に降りそそぎ沈殿していくのを、ぼんやりと感じていた。

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