あなたの歌が聞こえる(9)


 この医者のいうとおりなのかもしれない。
 もうこれ以上、美玖のそばにいてはいけないのかもしれない。
 あれほど彼女を裏切っておきながら、心の底から彼女に詫びたいと思っていながら、さっき自分の心を支配していたのは、美玖に対する怒りだけだった。
 人はいったい、自分を見つめてくれない人をどれだけ愛していられるのだろうか。語りかけてくれない人のそばで、いつまで待つことができるのだろうか。
 俺はだめだ。俺は、もう美玖を愛せない。

 10日が過ぎた。
 怜はあれ以来、ぷっつりと病院に姿を見せなくなった。
「寒いわ。……霧島先生」
 庭を散歩していた美玖は、カーディガンの前をかき合せながら、身をすくめる。
「そうだね。春とは言え、風はまだ冷たい」
「そうじゃないの……。いつも私を暖かく包んでくれていたものが、なくなってしまった……、そんな気がして、寂しくて。涙が出て。なんだか私、ずっと変なんです」
 霧島はにっこりと微笑んだ。
「きみを包んでいてくれたものって?」
「わかりません。とても大切なもの。……なくしては、いけないもの」
「それがなんだか、知りたいかい?」
 ためらった末、彼女はうなずく。
「……はい」
「そうか」
 そのとき、彼は背後に立つ人の気配を感じた。
「先生」
「あなたでしたか」
 医師は美玖に、ゆるやかに続く芝生の向こうのベンチで待っているように告げてから、怜のもとに歩み寄った。

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