『美玖(みく)……、美玖』
誰かに呼ばれたような気がして、振り返る。
でもそこには、誰もいない。
遠い昔に聞いたなつかしい声。でもそれがいつだったか、誰の声だったのか思い出すことはできない。
あきらめて、また歩き始めた。カサカサと地面の枯れ葉を踏みしめる音はなぜかふたり分だ。この林を歩いているのは彼女しかいないのに。
「あ」
サンダルの先が木の根にひっかかって、前につんのめりそうになった。
とたんに目に見えない力で体が支えられる。暖かく、優しい何かが彼女を包み込む。
いったいなぜ……。
そう問いかけることばが頭をよぎる前に、彼女の目はぼんやりと何かを探し求めるようにあたりを見回した。
「婦長さん」
病棟から小道を下ってくる女性に手を振った。ピンクのナースキャップをかぶった40歳ほどの魅力的な女性である。
「美玖ちゃん」
「なんだ、婦長さんだったのね。今私をつかまえてくれた人。ありがとうございます」
「え?」
彼女は一瞬きょとんとしたが、すぐに得心した様子で、美玖の背後に立っている痩せた青年に向かって微笑んだ。
(手柄を取っちゃって、ごめん)
そんな困った笑顔で。
その青年、日下部怜(くさかべれい)は首を振りながら、寂しそうに微笑み返した。
次へ 前へ TOP