待宵草(5)

「え……?」
 思わずふりむいた彼女のこめかみに、ひとすじのほつれ毛が落ちた。
「退職理由が嘘だからだ。きみのお母さんはご健在だ。特に健康に何の問題もなく、お兄さん夫婦と同居しておられるはずだ」
「なぜ、それを……」
「きみのことは知っていると言っただろう」
「……」
 城西は足を組み、ソファにもたれたまま、切れ長な漆黒の瞳で、まっすぐに彼女を見つめ返した。
「俺は5年間、きみの生けてくれた花で季節の移り変わりを知った。花を生けているきみの指先をいつも見ていた。言わなければわからなかったのか。 仕事のことなら、何も言わなくてもすべて先回りして俺の心を読んでいたきみが、俺の心の奥底だけは見抜けなかったというのか」
「社……長」
 ふたりは、しばらくの間お互いの呼吸の音だけに耳をひそめ合った。
「辞職の件は聞かなかったことにしておく。いいな」
「はい……」
「それから、26日の予定も最初どおりだ。変更の必要はない」
「はい、でも……」
 涙をふくんだ声を小さな咳払いで押しやりながら、かおりは気遣わしげにたずねた。
「重役会で決まったことなのでは……」
「たまには年寄り連中の肝を冷やして、背骨を伸ばしてやってもいいだろう」
 城西の相変わらず無表情に見える顔には、いたずらを思いついた少年のような無邪気な微笑が、わずかにのぞいていた。それにようやく気づいた彼女にも、次第に共犯者の笑みが広がる。
「そうだ、ついでだから、来年の5月の連休前後の予定をすべてキャンセルしておいてくれ」
「はい」
「4月末の大安の日を調べ、ホテルニュートーヨーの大広間の手配。あとの段取りはすべてきみにまかせる」
「はい」
「婚約指輪も、適当にみつくろってくれ」
「それはお断りします」
「……え?」
 彼女は、秘書になって以来、初めて使ったそのことばの余韻に戸惑いながらも、にっこり笑った。
「それだけは、社長ご本人がお選びになったほうがよいと存じますから」

(終)


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